FFTとトリアージ

FFT(=ファイナルファンタジータクティクス)。ゲームとしてはかなり好きな部類ではあるんですが。


ラムザがね。3章以降の行動がどうにもおかしい。
いや、ラムザ自体の行動はおかしい訳では無いですね。貴族主義の廃止という世界全体の利益を捨てて妹を取り返そうと動いただけですね。(この辺がトリアージラムザトリアージしない側だけど)


ルガヴィを倒して世界を救ったじゃないか?


いいえ、それは妹の救出=ルガヴィの野望を砕く、となった故の結果なだけであって、これが例えば教会側で無く、南天騎士団辺りがアルマを攫っていたら、ラムザはルガヴィは放って南天騎士団を敵に据えていたでしょう。

だからといって、もちろん、世界よりも近しい人を守る選択をしたラムザを責めることはできませんが。


おかしいのは、ラムザを英雄と称えようとするアラズラムです。すでに英雄として歴史に名を残されているディリータを押し退けてラムザこそが真の英雄だ、としようと画策する彼の語りこそがおかしいのです。


確かにルガヴィを倒したラムザは英雄と呼ばれてもおかしくはないですが、すでに悪弊となっていた貴族主義を、ラムザやオヴェリアといった友人や恋人を利用(に見えるやり方)してでも、至極現実的な手段で現実をいい方向─大多数の民衆が幸せを得られる確率が高い方─言ってしまえばトリアージを行った、ディリータの方が恐らく真剣に世界のことを考えていたのでしょう。

ラムザティータの死の時点で、すでにそこから逃げ出しています。そして、家族だけ守るつもりしかなかった。悪いことだとは言いませんが、ミルウーダ辺りからディリータと一緒に感銘を受けていた筈なのに、結局そのことに関しては彼は何もしなかったのです。

ディリータよりもそれを行いやすい立場に居たにも関わらず、です。


あまつさえ、4章でラムザが叫ぶシーンがあります。
『我が名はラムザ=ベオルブだっ!』

貴族の在り様に疑問を持っていたからベオルブ姓を捨てていた筈なのになんで今更?


どうにも、頼りないんですよね。ラムザ


と、まぁ、何故かラムザを扱き下ろす文章になったのですが、どうにも釈然としない気持ちがあってですね。このエントリの見解、つまり「ラムザだめじゃん」っていう見解が、製作者の掌の上な気がしてならないんです。


普段なら、「何この練られてないシナリオ。ふざけてるの?」とでも言うところなんですが、どうも判っててこんなラムザにしたフシが…

上記のベオルブ姓を名乗るところもですし、他にもガフガリオンやダイスダーグの台詞に全く反論出来ないシーンがあったり(しかもまさにトリアージに関するような言動だったりするんですこれが)、全く英雄的行動を認められてないんですよね。

同様にトリアージを行う側も認められずに死んでいくんですが。最後のディリータとか切なすぎです。



だからこれは恐らく「どっちを選ぶかは自分(プレイヤー)で決めろ」ということなのかなぁと。プレイヤー/主人公だろうが、自分の行動を善だとか悪だとか考えていても、他の人から/世間から/世界からみて善か悪かは別問題なんだ、って言うことなんだろうか。


「見えるものだけが真実か?」という台詞は、メタ視点のアズラズムから発せられたものでは無く、そのアラズラムのブレイブストーリーへの見解(=ラムザこそ真の英雄)すら俯瞰するプレイヤーのメタ視点、そしてそのさらに上から発せられた台詞なのかも知れない。