もうちょっとFE考察

前回のエントリで、シミュレーションゲームとして見た場合、FEはトラキア以前において、将棋にも為れず将棋からの脱却も出来ていないと書きました。RPGの成長部分に置いても、戦闘のギャンブル性の低下以上の役割があるとは思えません。

あぁ、将棋でいうところの<成る>というのはあります。クラスチェンジですね。ですがこれも将棋の<成る>程には戦略の変化もありませんし、<成る>ことを前提とした布石も打てず、<成らない>という選択肢が有効になる場面もありません。ここでも将棋に追いつけていない訳です。


さて今回はここにもう一つの視点を導入してみます。<リソースの分配>です。

FEでは無限に敵が沸き続ける訳では無く、ゲーム開始から終了までの総取得経験値は無限にある訳ではありません。厳密には撃破経験値、でしょうか。ボス削りに代表される経験値稼ぎや杖振りがあるにはあります。是非はともかく。

ですが、「どのユニットにどれだけ撃破させるか」ひいては「どのユニットを育てるか」という<限られた撃破経験値を誰に与えるか>=<リソースの分配>は、FEをやったことのある人ならわかるかと思います。


この場合──FEをリソース分配ゲームとした場合、シミュレーション部分(将棋の視点)はオマケとなります。成長部分においては、リソース分配の目に見える結果、です。

この時FEはSRPGではなく、モノポリーカルドセプトといったボードゲームに近いものとなり、比する対象が変わってきます。


ちなみにカルドセプトはカードゲームでは無く、明らかなリソース分配ゲームです。初期配布リソースを如何に早く設定目標量まで増やせるか、というゲームです。土地の購入・地価の上昇、それに伴う護符(≒株式)による利益不利益、土地の奪取、ライバルからの直接的間接的な搾取等など。

考え無しにカードに多くのリソースを割いていると(それがモンスターカードであれ魔法カードであれ)、決して勝てないゲームでもあります。その辺のバランスが恐ろしく高いレベルで取れているが故に、ただのリソース分配ゲームに収まらない面白さになっている訳です。


こういった視点からFEを見た場合…言うまでもありませんね。


他の視点もまだあるとは思えますが、どうにもあらゆる面で中途半端さを感じさせるゲーム。それが私にとってのFEであるようです。