犬夜叉最終回

少年サンデー今週号で犬夜叉が最終回を迎えました。基本的に週間連載漫画の感想は書くつもりは無かったんですが、<永遠>を否定してるココとしては、<永遠の日常>を良くテーマにする高橋留美子作品には一応言及しておこうかと。

以下最終回ネタバレ含です。






「永遠の日常」は避けたけれど、結局「ただの日常」には戻らないんだ

というのが読み終えた感想でした。
読み手の好みもあるんだとは思うけど、「ただの日常」を放り出して、「好きな男の居る、妖怪も居る非日常」に行ってしまうのは果たして少年漫画としてアリなのか。

半妖との異種婚姻を含めて、どう終わらせるんだろうと思っていたら、妖怪の居る方へ行ってしまった。そりゃまぁソッチに居れば問題は起きませんよね何も。

個人的にはかなりガッカリでした。


恋愛にしろ生活にしろ、<非日常>に行ってしまって「めでたしめでたし」は、読んでて「なにそれ?」としか思えません。個人の<幸せ>──登場人物なり作者なりの<幸せ>──はいいです。なんでも。
周りから見て不幸に見えようが騙されてようが、当人が<幸せ>だと感じているならそれはそれでいい。


もしこれが、『かごめが現代に帰れなくなったが、それでもそこで新たな日常を紡いでいく』なら納得できたでしょう。かごめにとっての幸不幸は読者には関係ない。

けれど、選べるところで<日常>ではなく<非日常>を選んでしまった。これは作品として、特に少年漫画の作品としてみた場合、やってはならなかったんじゃないかと思います。


<永遠の日常>ではないけれど<日常の放棄>をやってしまった。<非日常>から抜け出すのをやめてしまった。結局<現実世界>ではなく<幻想世界>を選んでしまった。高橋留美子は結局<ただの日常>を選べなかった。


そう感じてしまいました。




例えば雷句誠金色のガッシュベル』で、高峰は魔物の国には行かなかった。ガッシュは人間の国に残らなかった。それぞれの<日常>に回帰した。

高峰のガッシュの離れて寂しい気持ちはあるんでしょうが、それでもそれは、それで良かったのだと思います。