日本人は職人が好き

好き。だと思う。全般的に雰囲気で話してます。注意。


http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20090501/1241145763
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090504/1241368489


こちら様を読みました。
で、まずですけど、その分野に詳しい人って結構すぐ語っちゃったりしません?
釣りしてると横の見知らぬおっさんが延々と「釣りってのは〜」ってやらかしたり。


『今』、『ネットで』は、ブログ書いたりする世代的にアニメが上がりやすいだけであって、
実写映画の監督とかに詳しい人だとか、文壇に詳しい人だとかがもしブログやってたら、
やっぱり批評めいた感想を繰り出すような気もするんですが。
ただの印象ですけど(汗)。


今は実写映画の監督や音響より、アニメやゲームの監督なり制作会社やなんなりを知ってる人が
多いってのもあるんじゃないかなぁとか。



で、大元のhttp://d.hatena.ne.jp/psb1981/20090418/1240054839様を読んで思ったのが、
日本人は<職人><匠>っていう<技術を極める人・その様>が好きだからじゃないかなぁと。


スポーツなんかもそうで、例えばプロ野球なんかでも、チームや選手に留まらず、
プレイングや采配にまで一家言持ってる素人とか一杯いるわけですよ。
そしてそういう人は、一般の「よく打つから好き」とか「かっこいいから好き」じゃなくて、
「技術的に巧み(匠)だからいい選手」っていうことが多くって。


もっといえば<ブランド好き>も元は<匠の技=いいモノ>が好きなんじゃないかなぁとか、
ご近所の国では盛んな海賊版ってものが日本では流行らないのは法整備云々ではなく、
そういう本物志向な日本人気質の部分が大きいんじゃないかなぁと。


そういう面からガンダムなり他のアニメなりに<本物志向>を向ける人って多い(かった)んじゃないのかなぁと。



例えば出崎監督が劇場版CLANNADをやるときに「なんで渚死ぬの?」と聞いたら、
「そうしないと(観客を)泣かせられないから」と返ってきたとか。
これって所謂商業ベースな話の作り方ですよね。


でも例えばトミノなら、小説版ガンダムでそんなプロットの作り方はしてない(ようにみえる)。
アムロが戦場でわかりあうとか色々やってる」
→「能力があっても余裕の無い新兵のルロイがチャンスと思う」
→「そりゃ撃つよね。うん撃つ。戦争だもん」
→「死ぬよね。うんそりゃ死ぬ。主人公だけどアムロ死んじゃうよね」
みたいな。たぶんだけど。
カミーユなんかもたぶんそんな感じ。
ギレンもその座を狙われてるときに父殺しって大義名分をキシリアに与えちゃったから殺される。


そういう(実際にリアルかはともかく)リアルっぽさが、本物志向なファンに火をつけちゃったんじゃないかなぁと。
年表だとかモビルスーツのリアリティとかは二次派生的なもんじゃないのかなぁ。
作品から感じるリアルっぽさをよりリアルに近づけたがったというか。


で、ガンダムCLANNADより偉いのかというとそういう話でもなく、ただどっちが好きなのかと。
そしてたぶん語るのが好きな人は本物志向の方が好きな人が多いんじゃないんでしょうか。


だから思想的なこととか技術的なことにも言及しちゃう。
しちゃわずにはいられない。
ハヤオは思想的なのはあれだけど、映像技術SUGEEEとか。
だって匠の技だぜ?すげぇ。すげぇよ。その辺の監督(主に息子)とかには真似できない。


語るよ。語っちゃうよ。
職人だよハヤオ!ハヤオすげー!
イチローもすげー!みた?あのきれーなセンター返し!職人!神!
これは神MAD!職人!コメ職人もやるね!
1/144でこの塗りだと…!プラモ神!狂四郎の魔改造なんて目じゃないぜ!
海原雄山も神崎雫も料理やワインだけじゃなく生産者の心意気まで語っちゃう。
好き!職人大好き!すごいんだよ職人!ちょっと解説するから聞いてくれよ!
そんで一緒にあがめようぜ!


みたいな。
いやぁまぁ最後二行は概ねボクがそうなんですが。



でも、ちょっと前にゲームの話で言いましたけど、時代の流れ的にそういう見方は減ってるのかなぁと。
ゲーム性>ストーリー>グラフィックだったのが、
今はもうグラフィック至上主義みたいになってきてるって話だったんですが、
上でも挙げたhttp://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20090504/1241368489様で、
ガンダム00も作画>ストーリーになってるって話がでてて。


これが果たして、ストーリーの質が落ちてきたから客が仕方なく絵にしか興味を持てなくなったのか、
客がストーリーに頭を使うのをやめたから、商業的に見た目特化させたのかはわからないんですけど。


卵が先か鶏が先か、みたいな。



どうでもいいことグダグダいっちゃいましたけど、
日本人気質による昔からある職人崇拝みたいな気分が
今のブログを書く世代の多数においては、それがアニメやゲームに向けられているから、
個人ブログで大いに語っちゃうのかもね!


っていう妄想でしたまる




※追記
一昔前、ミーハー(笑)って悪い意味で使われるのが流行りました。
今の、ゆとり(笑)みたいな感じで。


現代は色々細分化されちゃってて、トミノvs非トミノみたいな構図が見えたり、
古参vs新参みたいのとか、懐古厨vsゆとりとか色々ありますけど、
大元は昔から別に変わってないんじゃないかなぁと思いますね。
昔っぽくいうと『通ぶる』のと『上っ面で判断』?
で、商業者はどっちにも手を出してちゃんと両方から売り上げを得るっていう。


うん、結論ないです。ごめんなさい。
おわれ。

もうちょっと下の続き

この<職人が好き>っていうのは突き詰めていくと、
<通><粋><伊達><美学>といった、そういう美意識に繋がっていく訳です。


そしてアニメは職人のものだという意識が昔もそして今もあるんじゃないでしょうか。
板野サーカスなんかもまさに個人の職人芸を褒め称える呼び方ですよね。
同時に作画のひどい回なんかは、ストーリー重視の人にしろ絵柄重視の人にしろ否定します。


結局注視してるところが違うだけで
みんな<ハイクオリティなものを要求>するっていうスタンスは変わらない気もしますね。


ただ、注視してるところが違うのに同じ俎上で議論しちゃったりするから
対立しちゃうこともあるだけなんじゃないかなぁ。2chとか。




もし<通>と<粋>を簡略化しつつ対立項として見ることが許されるなら、
<通>は骨董なんかで、そのモノの来歴だとか使われてる技術だとかを重要視して、
手元において長年愛で続けるし、その職人芸を語ったりする。


<粋>は花火に代表されるような、その時綺麗だったら詳細はいらない、
記録にも記憶にも鮮明に残らなくていい。でも毎回見る、みたいな。


懐古vsゆとりとかトミノvs非トミノとかに似てませんかね(笑)。


ただ、花火自体を作ってるのはこれまた職人なわけで、
その技術自体は賞賛されるわけですよ。


どんだけ職人(芸)好きなんだよっていう。



あぁ、また纏まらないです(汗)。
話の着地点を見付けるのが上手な職人さん、居たら連絡ください。