私は色んな媒体の色んなジャンルの物語を読んだり観たりする。読書家と呼べるほどには量をこなせていないが、あるテーマにおける得たい答えがあるからだ。
 ここではそのことについて書こうと思う。


 前提としてだが、私は神の存在を信じていない。運命の存在を信じていない。霊魂の存在を信じていない。生命の存在を信じていない。時間の過去への遡行と未来への跳躍を信じていない。
 上記を見て「少なくとも生命はあるんじゃ?」と思った人にはwikipediaより以下を引用しておく。

生命(せいめい)とは、生物が生物として自己を維持、増殖、外界と隔離する活動の総称であるが、はっきりとした定義を与える事は難しい。またある意味では、自己複製を繰り返し、かつ変化しうる存在で有るとも考えられる。この場合細胞も、代謝でさえも必要では無く、既存の生物にとらわれる事無く生命の基本的性質を議論する事が可能になる。こういった文脈では生物は現生の地球上の生物に限定して使用されることもある。

生命活動が不可逆に停止する事を死とするが、生殖において親〜子への間で生命活動に断絶は無く、その意味で生命は停止せずに連続していると表現する事も出来る。


 <生命>というのものですら、現在の科学的思考においては単なる<概念>でしかない。

 よく物語やキャッチコピーに使われるような「生命というのは神秘的なもので云々」というのは、実は「神の御力が云々」「先祖の霊が云々」と変わらない、胡散臭い──言い方が悪ければ非科学的な──何ら証明の為されていない、人の気分で信じられているモノ、でしか無い。
 神や霊魂を信じていない人は現在多数居るとは思うがそういった人ですら、生命については何か信仰めいたものを持っていたりする。


 ここで生命についてだけ言及したことにはもちろん意味があって、以下のことを考えてもらいたいからだ。
 が、その前に定義だけしっかりしておこうと思う。
 上記の生命の話を踏まえて、私が<ヒト>を定義すると、

有機物で構成され、電気信号で動くモノ

 もっとミクロな単位で言えば

電気信号で動く、分子集合体

である。
 霊魂を否定し、生命というものに神秘性を認めないなら、<ヒト>とはこれだけのものである。
 <意識>というものについては後述するため、ここでは肉体構造についてだけ考えて欲しい。

 そして、SF用語にもなるが、以下の単語をwikipediaからの引用でここでの定義とする。

・ロボット

人の代わりになんらかの作業を行う装置の場合、ある程度の工程なり手順なりを自動的かつ連続的に行う物であり、単一の動作を行う物や、絶えず人間が操作をする必要がある物はロボットの範疇には含まれない。許容される範疇における限定された物ではあるが、状況を判断して自動的に連続して作業を行う物とされる。しかし単純に与えられた条件に対して所定の、あるいは繰り返しの動作を行う機械装置との境界は曖昧で、明確に定義・区分することは出来ない。


・アンドロイド

人造人間とは、人によって製造された、人間を模した機械のことをいう。人型のロボット、アンドロイドの総称である。

機械のような特徴をもつ「無機的人造人間」と、生物のような特徴をもつ「有機的人造人間」の両方があった。いずれの人造人間も、人間と同等の「心」をもつ存在であると描かれる(そうでないものもある)。


・サイボーグ

サイバネティック・オーガニズム (Cybernetic Organism) の略で、人工臓器等の人工物を身体に埋め込む等、身体の機能を電子機器をはじめとした人工物に代替させることで、身体機能の補助や強化を行った人間の事。


 さて、これらの単語を踏まえた上で、以下のことを考えてもらいたい。
 ここでは意識は連続しているものとして考える。


・片腕を自分の意思で動かせる義手にしたヒトはヒトだろうか?サイボーグだろうか?
・四肢全てを義手義足にしたヒトはヒトだろうか?サイボーグだろうか?
・それらの義手義足が自分の意思ではなく、ボタン一つでプログラミングされた複雑な動作をトレースするものであった場合、それはヒトだろうか?ロボットだろうか?アンドロイドだろうか?サイボーグだろうか?
・首から下が全て自分の意思で動かせる機械の体であった場合は?
・首から下がボタン一つで複雑な動作が出来る場合は?
・脳以外がそれらの機械の体であった場合は?
・逆に脳にダメージを負い、記憶等のバックアップを機械の脳にダウンロードし、全身生身であるが、脳だけが機械の場合は?
・ヒトとして生まれたが、脳を含む全身を機械に交換した場合は?
・それが何の記憶も持っていない、産まれた直後または母親の胎内に居る時に機械化しなければならなかった場合は?
・機械でなくともクローン技術で人為的に造られた体と現在の自然に産まれて来た体を交換した場合は?
・(少しひねって)例えば、人間全てを情報化し、離れた場所でその全てを再構築するような転移装置が完成した場合、転移前に存在する人物と転移先にいる人物を「同じ人物」として認識していいのか?(つまりエイリアス問題のような不都合が起きる)
・そこまでひねらなくてもクローン体の人格を認めるか認めないかでもいい


 つまり<どこまでをヒトとするのか>であり、勿論答えられないと思う。
 というか、現在でも科学者や哲学者、小説や漫画の作家、様々な人が様々な意見を持っており、明確な定義が為されていないのが現状だ。

 そして生命に神秘性を認めないのならば、ヒトとしてではなく機械として最初から造られた存在──例えば上記定義におけるアンドロイドを

無機物で作られた、電気信号で動くモノ

とすれば、ヒトとの差は無いに等しく、

電気信号で動く、分子集合体

とすればヒトとの差は無い。

 更に言えば<有機物で作り出されたアンドロイド>が出来た場合はどう受け取ればいいのだろう?<アンドロイドを造った>なのか<ヒトを造った>なのか──


 随分遠回りしたがこれが私が答えを求めている命題である。定義されるような正解でなくとも、その作品におけるその作家の答えを聞いてみたいと思う命題である。


 次に、上記にあげた質問のような肉体的な差異に答えが出たとしたら、その先に(もしくはその前にもしくは同時に)問題になってくるのが<意識>である。
 これはすでに実験(チューリングテスト中国語の部屋。興味のある方は調べられたい)が存在しているが、これもまだ答えの出ていない問題である。

 そもそも

現段階では意識の発生のプロセスについて明らかになっていない。胎児の時期に発生することは容易に想像出来るが、それがどのような道筋をたどって発生するのかは分かっていない。(wikipedia

のであり、これは脳生理学や量子力学にまで関わり、<ヒトは自分一人の脳内でしか外界を認識できない>という大前提がある以上、本当に答えの出る問題なのだろうかという気もする。



<ヒトは自分一人の脳内でしか外界を認識できない>
例えば目の前にPCがある。それを見ているのは目であり、PCから出る音を聞いているのは耳であり、キーを触っているのを感じるのは皮膚感覚であるが、それらは全て受容器官であり、実際には脳が全てを認識しているにすぎない。逆に言えば、実際の外界──いってしまえば世界──がどうなっているかは脳の認識に従っているに過ぎず、<本当の世界>を脳が認識し、意識にそれを正確に伝えているかどうかはわかりようが無い。例えば我々は紫外線や赤外線を知ってはいるが見ることはできない。つまり我々が見ている色彩は<ヒト>という生物に受容可能な限定された色彩でしか無いのである。量子力学の基本的な事項で<ある物体の運動量を観測すると位置が特定できず、位置を観測すると運動量が特定できない>というものがあるが、これは<世界>をそのままには認識できない<ヒト>の脳の限界故なのかも知れない。


 また<意識>を考えた場合、<記憶>も含めて、<ヒト>以外の地球上の生物は上記に上げたチューリングテスト中国語の部屋をクリアできない。
 では、それらを<生きているもの>と認めないかというとそんな馬鹿な話も無い。また<ヒト>であっても植物状態といわれる、半永久的に意識の無い状態に陥ることもあるが、死亡扱いされる訳ではない。


 そういった<肉体>や<意識>全てを踏まえて、有機物・無機物/生物・無生物/一個の人格乃至生物としての存在を認めるか否か、に対する回答こそが私が求めるものである。




 次記事では私が見た中で実際にそれらに触れた作品などについて言及する。