数回に渡り実験的にやってみた架空キャラによる対話形式ですが。


○利点
・筆者自身の考えからワンクッション乃至ツークッション(話法なんかでの言語選択とか)おけるので少し冷静に俯瞰できる
・反論なりツッコミなりネタなりを入れてどの程度本気で話しているかを婉曲化できる
・上記2点からの自己言及で気付くことがある


○欠点
・やってて自分でこっぱずかしい
・結局自分一人の脳内からの飛躍がない


 てことで、まぁ自身の周りからの評価を度外視すればそれなりに使える方法なのかなぁと。「小説を書くというのは筆者自身を解体し再構築する行為だ」とどっかで聞いたことある気もするし、なんかまぁそんな感じ。それを生業にしてる人と自分を同列に扱うのはどうかとも思うけどそんな気分はチラッと感じた。




 んでまぁ本当に「入力が足りないよな」と思ってWEB上で色々読み散らかしたり、適当な書籍はないかと検索からアチコチ飛んでみたり、またそこで読み散らかしたり、ということをここ数日やってるわけですが、色々読まなきゃなぁというモノが貯まる中で、ココで挙げてるテーマ的に読むべきかなァというのが一冊。

玩具修理者/小林 泰三

がそれで、ホラーでグロ描写な話なんですが。
 あらすじやちょっとしたネタバレを見る限り、<猿の手>系の気持ち悪さなんだろうなぁというのはわかるんですが、<生物と無生物の境とはなんだ?>という自分的に考えたいテーマが少し混じってるらしくて、オチを含めて読むべきなのかなァと。
 でも苦手なんですけどね。グロ描写。駄目って訳ではないけど、何か腹の下の方に違和感というか異物感を抱えてしまうのが。

 うーん、どうするかなぁ。



 後は有名なトコでは有名なサブカル評論(表現合ってるか自信ナシ)なWEBサイト様を読んでて、エヴァハルヒに何の感慨も抱かなかった身としては「なるほど、それは私はノれなくて当然だったのかもな」と思う一方、同所でガンスリを<中年が夢想する援交作品>と酷評してて、えーって思ってみたり。

 確かに<オタク的萌え消費>として捉えたなら<トラウマ持った強化人間美少女が戦って都合よくパートナーの中年男性に恋愛感情を抱いてる>というあまりにそのままな設定に苦笑するしかないんだけれども。
 売る側が<商業的萌えアニメ>としてガンスリをそうしようとしてるのは確かかもしれないし(というか二期見る限りそうなんだろうね)、原作者が売るために喜んでそうしてるのか泣く泣くそうしてるのかはわからないんだけれど、そういう見方が全てとも言えない訳で。


 私的には<条件付け>はアシモフロボット三原則と同一のモノでフランケンシュタインコンプレックスを根とした設定で、<義体(=強化人間)>もやはりロボットやサイボーグといった<人に近いが人とは一線を画すモノ>として配置されていて、(私が散々あげてるような)SF的なテーマを追っていく作品として見てる。


 いやまぁこれも<自己弁護・正当化するオタ>とか<SFオタ>とか<強化人間少女信仰>と取られるムキがあるとはわかってるんだけど。
 ただ、私的なスタートは『フランケンシュタイン』だからなぁ。

 広義にしてしまえば、あらゆる研究者なんかはその分野における<オタ>でもある訳で、線引きは難しいんだろうけど、ガンスリだって<商業的萌え>だけで消費されてる訳ではないですよ、と一応言っておきたくなった。


 同サイトはプロのライターな人が大半で、かなり信用して読めるんだけど、『BLOOD+』なんかに対しても<沖縄の基地に対する県民の意識が全然ダメ>みたいなことが書いてあって、確かにその通りだと思うし、実際全編通しての話自体も大したモンじゃない。でも私的には<異種族間における共存共栄>というテーマにおいては、多少なりとも見るべきとこがあると思う。

 どうにもそのテの視点が無いのかなぁという気がしないでもない。


 と、批判めいたけど、基本的に信用してるし、好きだったりします。ソコ。