虚構新聞周りのこと

あんまり触れる気も無かったし議論もほとんど追ってないんだけれど、ちょっと。


元々ボクは虚構新聞管理人さんの別サイトの読者で、虚構新聞が始まる前から読んでいて、虚構新聞の存在は知っていたけどそっちに興味は無かったので読んだこともなかった。
偶然だか何だか虚構新聞へのリンクを釣られて踏むようなこともなかったし、書籍化だかの話を聞いても、「あれ、そんなメジャーになってるのか」と驚いたぐらいだった。


一方全然別の人の某ブログも長いこと読者で、色々共感する『個人的に気の合う気がする――<気が合う>という感性から行くと虚構新聞管理人さんより遥かに気が合う(気がする)――サイト』さんで今回の件で非難轟々で。


でも今回の件でボクは、別に虚構新聞悪くなくない?という立場なのです。


読者でもなく騙されて踏んだことも、もちろん誰かを騙すために利用したこともない人間の意見なんであれですが、嘘なり釣りなりフィクションなりがWEBに垂れ流されてても別に構わないと思うんですよね。


ボクが今回の話を知ってまず思ったのは今年年初に話題になったゲーセン少女。
怒ってる人ってあれと同じ吹き上がり方をしてるように感じたんですよね。
あれは個人的にはまとめサイトなんかに責任を求めたい気もしますが、今回はそれがtwitterだった感じ。
ゲーセン少女も、あの文章自体は別に悪いと思っていません。
実話として読もうがフィクションとして読もうが釣りネタとして読もうが、それで泣ける人は泣いたらいいし、楽しめる人は楽しんだらいいし、くだらないと思えば読み捨てればいいし。
古いところではS県月宮なんかもありますね。
電車男だの痴漢男だのもそうかな。


今回の件だと「馬鹿を釣ろうと悪意を以って拡散した人」「内容の確認もせずにタイトルだけで鵜呑みにして拡散した人」の方が問題だと思いますけどねえ。



傍から見てると擁護派も否定派も人格攻撃に発展してたりもしてちょっと引きます。
ウチみたいな零細でも、「人と違うこと言って優越感云々」ていうコメント付いたことありますけど、誰かの意見や感じ方に対してそういう受け取り方しか出来ないフィルターっていうのは狭量じゃないかなあ。
自分と他人の感じ方を比べ合ってどっちが上か下かってそんなに大事だったり楽しかったりするものなんですかね?