ラジアータの考察といえば、大抵2種類のエンディングの解釈や、リドリーの唐突な決断などがあげられると思うが、ここでは私が弊サイトの雑感で書いた内容と重ねられる部分を語ろうと思う。

 RPGの自由度で述べたように、<理想のRPG>における<世界>というのは我々の居るリアルな<世界>と変わらないもう一つの<世界>を仮想空間に作り上げることである。そこではNPC達も自分達で考え、行動し、その世界の法則・慣例・法律などに従って人生を生きている。

 ラジアータは<理想>まで行かなくとも、その方向へと目を向けたRPGだと思うのだ。

 NPC達は各個人個人でドラマを背負い、自分達の所属する集団(戦士ギルドや盗賊ギルド)の理論・規範に従って1日を生活している。ゲーム内で動いているNPCは――王から浮浪者、武器屋や道具屋に至るまで――しっかり生活している。

 これを指して『毎日同じ行動してるのがイヤ』や『ネトゲじゃないんだから…』といった声もあるようだが、NPC一人一人に一々事件を起こしてみたり、その瞬間瞬間をNPCが適宜判断して行動を起こすことなど、実質不可能である。少なくとも現在のハードでは。
 (というか、クリアまでずっと同じ言動を続ける町人の方がなんぼか気持ち悪くないか?)

 200人以上(内、仲間にできるのは177人)のNPCが「1日をちゃんと過ごす」という<RPGの理想>に向かっていることは凄いことだと思う。

 これは戦闘においてもそうで、操作キャラはあくまで主人公のみであり、仲間の行動に対しては指示を出すことしかできない。スキルや装備を変えることすらできない。そしておそらく、個人個人ある程度の傾向を持っている。攻撃したがるやつ、消極的なヤツ、etc・・・

 これはRPGにおける個性で述べた<NPCの個性化>をちゃんと目指しているのだと思う。そしてそうした方向を目指す場合、プレイヤーの操作キャラクターはやはり主人公一人となり、ある程度のアクション要素が求められるのだと思うのだ。

 ラジアータは一般的な評価こそ高くないが、今後のRPGの進むであろう方向の

NPCNPC単体で生活・思考・行動する(もしくはしてるように見せる)
・なので個性としてのスキルしか持たないし、スキルや装備をプレイヤーが触ることはできない
・プレイヤーキャラはかなり自由が利く(アクション操作による行動、スキル、装備など)

をちゃんと目指したゲームだと、私は思う。