いきなりだが名作である。

 ディアブロlike、もしくはもっと強くパクリ、と揶揄されることも多いが、やはりコンシューマー機の操作パッドを使用するが故のプレイングに影響するプレイヤースキルの比重の大きさ、そしてそこから生まれるプレイヤーキャラとの一体感、強敵を倒した時の喜びは計り知れないものがある。

 では、技術の無いプレイヤーはクリアできないのかと言えばそんなことはなく、それこそディアブロ――もっと広義に他のCRPGでもいい――のように、時間をかけてキッチリ育てるべき能力を育てれば、技術ではなくキャラ性能でのドツキアイでだってクリアはちゃんとできるようになっている。

 大袈裟かも知れないが、このゲームはRPGの一つの完成形ではないかと思うのだ。



 ストーリーを最低限に留めることで、序盤から世界の(ほとんど)あらゆる場所に向かうことができるのだが、その際エンカウント方式ではないため、一撃で100回ほど死ねるダメージを与えてくるような強敵のいる場所であってもうまく逃げおおせることもできる。そして強くなって逃げるしかなかった強敵を倒せるようになった時の喜びといったら!
 これはストーリー進行に合わせて、自分も敵も強くなっていき、常に同じ程度の緊張感しかない一般のRPGでは味わえない感覚である。(一般的なRPGではその状況の打破として中ボスなどのストーリー上での強敵が現れるわけだ。)

 また、所謂<レベル>というものもちゃんとあるのだが、これの意味がかなり薄い。レベルMAXまで上げて人間の限界を極めても、裸でジャイアントと殴り合えばやはり勝てないのだ。そこで武器や防具、魔法を駆使して、人間たる主人公はやっとモンスターと渡り合えるようになるのである。

 このゲームでは<ミスリルを武具に刻む>という行為によって、武具、もしくは使用者自身を強化し、モンスターと戦っていくのだが、このシステムのおかげで、このゲームの懐がぐっと深くなっているのだと思う。

 例えばDQだと、誰がどうやってもレベル99の勇者は同じ強さでしかない。ちからの種などを使って強さの限界を極めることはできるが、魔力特化の勇者、などは作れないシステムとなっている。

 だがこのゲームでは、全てを<刻む>こともできれば、プレイヤーが望む形にプレイヤーキャラクターを育て上げることができるのだ。
 これはMMOなどで良くあるスキルシステムともステータス振りとも似ているように見えるかもしれない。ただしアチラはプレイヤースキルの割合が低いため、どうしても最低限必要なステータスやスキルを取得しなければならないことが多く、<自分だけのキャラクター>を創り上げる点において一歩譲る。全てできるキャラクター、は作れないし。

 もちろんコンシューマーとMMOというプラットフォームの違い故の差異であろうから、一概に優劣を決めるわけにはいかないが。


 また、こういった懐の深さ故に様々な縛りプレイなどを楽しむこともできる。縛りプレイについては、弊サイトの他コンテンツで触れてもいるが、要は<そこにあるものでちょっと違った楽しみ方を探そう>ということである。野球グラウンドがあるからといっていつも野球じゃなく、三角ベースやソフトボール、キックベースなんかをソコでやってもいいわけだ。


 世界を好きなように歩き、プレイヤーキャラを好きなように育て上げる。ストーリーもNPCもほとんど存在せず、多分に箱庭的ではあるが、箱庭的RPGにおける一つの完成形だと思う。