大神のアクションの肝である<筆調べ>、そして任天堂の新ハード<Wii>のリモコン。どちらも、『プレイヤーの動作がゲームに直結』してるシステムな訳です。ニンテンドーDSのタッチパネルもそうですね。もう少し遡れば、剣神ドラゴンクエストなんかがコレにあたります。

 そういえば、剣神DQは発売当時、私が「これはヤヴァイ(いい意味で)んじゃないだろうか?」と話したところ、(リアル・ネット含めて)周りの人達にあっさり否定されたことがあります。確かに売り上げ数もそんなに高くなかったと思いますし。

 が。
 ほらやっぱりキタじゃないかー(何

 弊サイトのRPG論で触れていますが、プレイヤーと操作キャラの一体化を目指すと、アクション志向に向かっていくわけです。それは『ジャンプのタイミングが難しい』などの<アクション志向>ではなく、筆調べや剣神DQのような『プレイヤーの操作がそのまま操作キャラの動き』に直結される<アクション志向>な訳です。

 これは例えば、プレイステーションのコントローラーのバイブ機能なんかと同じ主旨のものです。また、テキストだけではなく、ボイスをキャラクターの台詞に合わせることも根っこは同じです。
 ゲーム内の動き―もっといえばゲーム内の<状況>―を、リアル側のプレイヤーに直接感じさせる手段な訳です。

 でも、です。行き過ぎじゃないかと思うんですよね。これ。

 例えば昔からあるガンシューティングの専用コントローラーを使うタイプだとか(剣神DQなんかはこれに近い)、大神での筆調べだとかはいいんです。<ソフト次第で直に体を動かすことが操作に繋がるものもある>というのは。
 それはバリエーションの1つだと思いますし、確かに<操作感>に優れている。(実際、大神の筆調べは書いてて楽しいです。クリアに全然関係ないところでなにげに遊んじゃうぐらい。)

 でも「さぁ、これからはコレ(wiiリモコン)が<ゲーム>の標準スタイルです」っていうのはちょっと…。<体を動かす>ならそれはリアルで運動することに絶対敵わないんですよ。<操作感>であれ<実感>であれ<快感>であれ。

 例えば、サッカーにおいて、確かにリアルでワールドクラスの選手と同じレベルのプレーをすること・出来るようになることは容易ではありません。
 でもゲームではそれが出来る。それは確かです。しかしそのときに、(Wiiリモコンで)中途半端に体を動かすことが、果たして現行のコントローラーでの操作よりも<そのプレーをゲームキャラクターにさせている>という感覚に優るでしょうか?

 私にはそうは思えない。慣れももちろんあるでしょうが<思い通りに動かす>のは、腕を動かす操作よりも指先だけ動かす操作の方が容易なのです。鉛筆で適度な大きさの文字を書くほうが、筆で大きい字を書くより、綺麗に丁寧に書けるものです。


 今まで無かった・メジャーでなかった操作方法は確かにある点において魅力的ではありますが、それが全てに―そこまでいかなくとも基本に―なってしまわないことを祈ります。


<ゲームである>ということ。いくらプレイヤーとの一体感を目指すと言っても、それが<ゲーム>である以上、<ゲームであること>を越えないこと。<リアル>と<リアルに近づこうとするゲーム>の線を引くトコロは難しいですが、少なくとも意識して欲しいとは思うのです。

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 要は「来ると思ってたという自慢」と「Wiiの基本コントローラーがあれだ、ということへの懸念」、んで「筆調べはマンセー」です。

 や、冗談じゃなく、従来の操作感はそのままに、新たに<気持ちいい操作(感)を加えた>ってのは、凄いことだと思う。応用も効きそうだし。

 大神サイコー。