ゲームの世界観

今、らんだむダンジョンDLページ)というフリーゲームをやっている。
戦闘はツクールのデフォ戦闘――ドラクエタイプの敵が正面に居るだけの戦闘――で、「今更デフォ戦かぁ…」とか思っていたのだが、これが非常に飽きさせない。
派手なアクションやエフェクトでは無く、テキストで間を保たせるこのスタイルは、作者の笑いのセンスや筆力と相俟ってとても楽しい。
また、雑魚との通常戦闘でもスキルの使用を強要せず通常攻撃連打で済ませる、しかもそれが非常にストレスフリーになるような、ほぼオート戦闘染みた戦闘になるような装備が用意されており、「雑魚戦で通常連打にしたくない」と、派手なアクションで常時スキル使用することを前提としている『月夜のノクターンRebirth』の真逆に居るといえるかも知れない。


また、戦闘はドラクエ方式だとはいえエンカウントはシンボルエンカウントであり、昨今の様々なフリーRPGを見るに、ドラクエのようなランダムエンカウントはすでに飽きられている、もしくは嫌がられているのではないかと思う。



で、このゲームもそうなのだが、旧来のドラクエのような『世界中を旅して世界を救う』という世界観も、すでに飽きられているのではないかというのが本論だ。


フリーゲームで言えば『廃都物語』『ノクターン』『らんだむダンジョン』『王女様と薔薇の騎士』のように、ある一箇所を拠点として、その周囲のダンジョンなどだけで済ませるゲームが増えてきていないだろうか。
コンシューマーで言えば、『シレン』や『トルネコ』といった不思議のダンジョン系もそうだし、『ワンダ』や『デモンズソウル』、古くは『GPM』『シャイニングティアーズ』、そして『wiz』も同じスタイルだ。
かつてはどちらかといえばマイナーだったこのスタイルが主流――とまでは言わないが、かなり増えてきているように感じる。


ローグlike系統のゲームの浸透や、『世界樹の迷宮』のヒットに拠るwiz系の再評価などもあると思われるが、「街の近隣のイベントをこなす」というのが基本姿勢であるTRPGへの揺り戻しにも見える。
または、大きな物語ばかりを見せ続けられることに疲れ、もっと身近で体感しやすい、感情移入しやすい規模の物語が求められているのかも知れない。
文学において、壮大な神話物語から個人の私小説へと時代と共に規模が縮小化していったように。



個人的な嗜好をいえば、この系統はかなり好きだ。
書き込みきれてないアバウトで大きい世界を見せられるより、背後設定は匂わせるが見せない程度がいい。
世界が広くなればなるほど、そこにある嘘も大きくなってくるからだ。
スタートの街の周りの敵が弱いことにゲーム的なこと以外の理由は見つけにくいが、ダンジョンにもぐっていく系統なら深部ほど強い敵が居るというのはすんなり受け入れられる。
弱いモンスターの居る地域、強いモンスターの居る地域、が別エリアになってるようなシステムでも、拠点の周りにそれらが点在しているなら受け入れやすい。
何故か世界的な勇者であるプレイヤーキャラクターより、一地方、一都市の誰かでしかないプレイヤーキャラクターが、冒険を重ねることでたまたま偉業を達成するほうが、RPGにおける成長を実感しやすい。


作り手はストーリーを順に追わせる事に終始しないで、プレイヤーがどうしたら楽しめるのかを考えていって欲しいと切に願う。