自分でもCLANNAD嫌いすぎだろと思わないでもないけれど

『Kanon』『Air』『CLANNAD』から、次の十年を展望してみよう - シロクマの屑籠様で各作品について述べられてることは確かだと思います。
でも

つまり「父性」による「母子関係の束縛」の解毒、である。

を読んで思ったのは、「それってもうすでにゼノギアス(1998年2月発売/スクウェア)でやってません?」でした。
引用しておられる文章の中のラカンwikipedia/ジャック・ラカン)にも言及してある作品ですし。


ゼノギアスはディスク2の駄目っぷりや、エヴァのパクリと揶揄されたりで、大きく損をしていると思います。
「胎内回帰ではなく外との関係性を得よ」という(当時の)エヴァよりは遥かに先を行ってた作品で、「父性」「母性」「グレートマザー」「アニマ」「アニムス」「ラカン鏡像段階論」等々の心理学と絡めつつ、「父/母/子、そしてその子らがまた父母に」というところまで98年当時すでに描いてた作品なんですよね。


セカイ系を求めたカレルレンは結局孤独に神を求め、主人公らは喪失していた父母との関係性を取り戻した上で多くの人達の元に帰り、そしておそらく父母になっていくだろうというエンドですから。


『心理学と膏薬は何処にでもくっつく』という言葉もありますし、そのなんちゃって心理学部分は刺身のツマ程度に置いても、98年にはもうこんなお話はあったわけで、クラナド放映時にボクが今更感を感じたのはこの辺を10年ほど前に通過していたことが大きい。


我が子の面倒見ない朋也とか、ご都合ファンタジー――ファンタジーという言葉に対して失礼だと思う――なエンドとか、ほんとにカチンと来たんですよね。



で、去年観たアニメがブレンパワード(1998年4月〜)、キングゲイナー(2002年9月〜)、エウレカセブン(2005年4月〜)で、これは全部男女和合同一で親になっていく話に触れられています。
そしてCLANNAD(2007年10月〜)があるわけで。ゲーム版は2004年ですね。


――というかクラナドが残念すぎたから観る気になったのかなぁと今になって思ったり。


個人的にはクラナドは「ゼロ年代に多く見られた『父/母/子、そしてその子らがまた父母に』というテーマの何番煎じだよ」という感が非常に強いです。
それなのに2009年のアニメエンディングがあれで、理屈がご都合ファンタジーで…。



ボクみたいに不勉強な人間が、id:p_shirokumaさんのエントリにケチを付けるようで烏滸がましいんですが、98年にゼノギアス、ブレンがありますから、どうにも気になった次第です。
単にクラナドが好意的に受け入れられるのが嫌なだけという可能性も否定できません。すいません(汗)



また、「9話で終わっても充分だった」と言われることもあるグレンラガンですが、確かにシモンの成長物語としてだけ観たならそうでしょう。
しかし、あの作品が描いていたのは「代を重ねるということ」だと愚考します。
だからカミナを乗り越えたら終わりではないし、ダヤッカは子を為すし、番を失ったヨーコは教師という親にも似た子を教え導く職に就く。
そして時代が変わったと嘯く子供たちだけでも、かつて子供で大人になったキタンたちだけでも困難は打破できず、二つの世代が力を合わせ、教え導いてくれた先達が後続の子らを守りつつ死に、それでもその屍を踏み越えて世代を重ね進んでいく。
それが螺旋族でありグレンラガンであったわけで、言ってしまえば「父殺しをしない物語」だったわけです。
単に前の世代を越えればハッピーエンド、ではない。
まぁグレートマザーたるアンチスパイラルがラスボスですけど。
(というかゼノもブレンもキンゲもそうなんですよね。エウレカだけちょっと違う。)


つまりは『父/母/子、そしてその子らがまた父母に』をもうひとつ大きい視点で書いた物語であって、ゼロ年代におけるこのテーマでの代表作を挙げるのなら、個人的にはクラナドよりもグレンラガンを挙げ、そして「ブレンパワードキングゲイナーグレンラガンでこのテーマは一段落した」と言いたく思います。
id:p_shirokumaさんとは真逆になってしまいますが、むしろもうこのテーマは落ち着いていくんじゃないかなーと。



違うかなぁ。自信は無いです。でもそう感じたって程度のお話。
まぁウチは垂れ流しサイトですから信用しちゃ駄目ですよ(笑)