スーパーロボット的なガンダムで戦争モノ

さっきからid:zsphereさんの記事からの引用ばかりなのは、
読んでてインスピレーションを頂いての文章なので。

戦後生まれの、この番組の視聴者たちにとって、戦争とはほぼ「報道される戦争」「報道を通して見る戦争」とイコールです。そして、テレビ画面に映る戦争の情景にいつも苛立ちながら、ヤキモキしながら何もできないというのが一般的な日本人像でしょう。

そういうリアリズムを抱える我々にとって、こういう絶大な影響力を発揮して紛争を終了させる――という夢想こそ、最もリアルな感じがするのかなと思います。

これは『DEATH NOTE』の夜神月も同じで、つまりテレビ画面で世の中への苛立ちを募らせていた我々は、世直しをする場合にもテレビ画面を通してしようとするという、そんな想像力の表れなんですね。テレビで報道された紛争地へ駆けつけて介入して鎮圧するというのも、基本的には変わらない。


だから、この「ソレスタルビーイング」という着想、そんな武装組織を生み出した想像力も同じ所に根ざしているのだなと感じたのでした。


こういう形で紛争を終わらせ、「平和」を獲得していくという、その夢想は快い。そうあれば良いに決まっているし、ガンダムWガンダムSEEDもここまではやっていたわけです。


2009-08-29


ボクもこの気分良くわかります。
でも、この夢想で果たして戦争モノを描いていいものかとも思うんです。
この夢想はあまりにゲーム的万能感に拠り過ぎてはいないでしょうか。
デスノート夜神月もそうでしたよね。)


以下はタクティクスオウガというSRPGの主人公(と、もののけ姫の主人公)について書いておられる文章の引用です。
ちょっと話が外れて見えるかも知れませんがお付き合いください。

指輪世界
カチュア、デニム、プレイヤー、アシタカ

考えてみよう。むしろ、カチュアこそが正常な反応を示してはいないだろうか。いや、示している。
被抑圧民族として自治区に強制収容され、同胞の過激派はテロに走り、ついには同族を虐殺してまで復讐をとげようとする。
そんな不毛な憎悪の再生産は、もううんざりだ。
こんな島は見捨てて、共に生きてきた弟と二人で、海の向こうのどこかへ逃げ出せばいいではないか?


デニムの判断こそ異常なのだ。
異常だって?


その通り。
それは、デニムがプレイヤーキャラクター(以下PC)だからである。
デニムは、すなわちプレイヤーは、ゲーム開始時に、そしてけっきょく、シナリオすべてを読破したあとでさえ、ヴァレリア島の歴史を知らない。
これまで繰り返された民族の争い、積み重なってきた人々の屍を知らない。阿鼻を見ず、叫喚を聞かない。
過去の悲劇を知らず、それが生む憤りも憎しみも感じない。


だから、三民族の融和などと言い出すし、
「僕は気づきました。本当の敵は他にいるってことを。父祖の代から続くウォルスタと、ガルガスタンの争いなんて、本当はないんですよ。いつの世でも、枢機卿や公爵のような権力を求める人々が、民族紛争を利用していただけなんです。憎むべき相手はガルガスタン人という民族ではなく、それを利用する一部の権力者なんです。」
などと言えるのだ。


デニムはプレイヤーであり、他民族に恨みを抱いていないので、綺麗事を吐けるのである。
デニムがプレイヤーでなければ、彼も作中に登場するほかの人物同様、民族にこだわり、
たとえその怒りが権力者に利用されている面があるとしても、自分と同胞の受けてきた辛苦と汚辱を忘れはしないだろう。

デニムはウォルスタ人として虐待されてきたはずだし、父を誘拐されている。
それが「父祖の代からの対立なんて本当はないんだ。悪いのはブランタとか一部の人間だ」とかスルっと言い出すのが変だ。
権力者だけが悪いという視点は、ヒトラーだけを憎んでナチス党員・独国防軍人・独国民を恨まないユダヤ人みたいで、不自然だ。
家を追われ、収容所に入れられた人間が、そんなこと言うか? あいつ、本当に地元民なのか?


しかし、プレイヤーには家を追われ収容所に入れられた経験はないので、こうした発言に違和感がなく、
むしろデニムが「おのれバクラム」とか言い出したら違和感を抱くだろう。

言いかえると、デニムって、ヴァレリア島のあそこまでの歴史の蓄積の上に立ってる人間とは思えない。
あいつにはこれまでウォルスタ人が舐めてきた屈辱の歴史がわかってるのか?
たぶんわかってない(設定上はわかってるけど)。
そこがデニムの、プレイヤーキャラクターの異邦人性だ。


異邦人性を別の言葉で言うと……ゲームプレイヤーや映画観客の感情のデフォルトは
「全員を救ってやる。お前ら! 仲良くしてください!」である。
悪いのはこいつ! というふうに悪者が示されなければ、一方の集団に肩入れすることはない。
事情もよく知らずに他人の喧嘩の仲裁に入る余所者だ(しかもゲームの場合、ものすごく力があって世界の命運を変えられるほど強い)。


しかし、ヴァイス、レオナール、バッドエンディングの暗殺者、サン、モロ、エボシ御前は地元民であり、互いを恨み、あるいは利害対立している。やつらは夫や恋人を殺され、生きる場所を奪い奪われしている当事者なので、
そもそも戦争をはじめたブランタが悪いとか、戦争というものはそういうものだから民族や個人を恨んでもしかたがないとか、言ってられない。
戦争はそういう言ってられない人間を生むのだ、と(勝った勝っためでたしなハッピーエンドで済まさずに)
語ってしまうところがタクティクスオウガの凄みの一つだ。

プレイヤーはSLGをはじめるとき、戦争して世界を救うつもり全開である。
だって、だからやるんだし、当たり前でしょ。当然救うね。ガンコ救う。救いまくる。


だから、「不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ(落ち着いたばかりなのに、また戦争を起こそうっていうのね、あなたは)」
というカチュアの指摘は、認識できない。


あるいは「戦争なんて行ったら一定確率で死ぬんだぜ? 死んだら命がなくなるんだぜ? よそうややめようや(この世に血を分けた肉親はあなただけ。たった二人しかいない姉弟なのよ。死なせたくない)」も、右から入って左耳にスルーである。


大丈夫だよ姉さん。僕は死なない。だって俺、死なないもんな。


カチュアの言うことはまっとうなのだが、プレイヤーには届かず、「なんかよくわからんが嫌なこと言ってる」という印象を残して通り過ぎていく。
僕はデニムをツッコミ対象としてみている。
「プレイヤーキャラクターだからな、どっかおかしいに違いない」と、粗捜しするつもりでいる。否定的マインドセット。先入観ですな。
変な奴デニム。


特に太字にした部分。
ヒイロも、キラも、刹那も、この主人公と同じに見えないでしょうか?
作品の主役というよりは、ゲームのプレイヤーキャラクターに。


だからボクはWと種とOOが苦手なんです。
監督だか脚本家だかのプレイしてるゲームを見せられているような。
「俺ならこのキャラをこう動かして戦争やめさせちゃうぜ!俺のキャラ(≒俺)SUGEEE!!!!」
みたいな。
しかもわかりやすい<悪>を作っちゃうので、自作自演ですよね。(言い過ぎ)


この話はガンダムに限らずどの戦争モノでもですが、ガンダムというメジャータイトルで若者に向ける作品においては矢張り、
より留意すべきなんじゃないのかなぁと思わないでもないです。
世界大戦ではなく、地域紛争を描くなら尚更。
テーマが重くなりすぎるかも知れませんが。


id:zsphereさんの言われるように、

とにかく「戦争」をリアルに描かなきゃいけないというのがガンダム作品を作る敷居をすごく高めている。
2009-09-02

のは確かに。
ボク自身そういうのを求める悪癖があります。


やめられないんですかねぇ。戦争を描くの。
Gガンは戦争を描かなくてもとてもガンダムでした。
Xは戦後を描いたのだと思います。
どちらもとても好きです。


戦争モノとエンターテインメントの両立を目指して失敗(?)してるのかなぁ。
決断主義的世直しと戦争は相容れないような気がしてならない今日この頃です。







※ひとりごと
Gジェネリプレイ小説は書きたいんだけど、
色んな方の1stガンダム視聴感想を読んでると、<ガンダム>を描ける気がしなくなってきました…
がんだむこわい